わたしのC型肝炎奮闘記
                                                 
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平成19年〜  20年〜25年   26年   27年

平成19年病気を知った
   
  平成19年も終わろうとしていた頃
  
風邪をひいて近くの病院へ。

  「血液検査しますね」「はい」

  一時間近く待っていると、看護師さんがやってきて
  「肝炎の疑いがあるのでもう一度検査をします」と言ってきた。
  採血さらに5本採った。

  その後一週間待ってようやく通院の日が来て診察室に入る。

  医師「C型肝炎です」
  (何それ)心の中で叫ぶ。

   友達がこの病にかかって、インターフェロンの治療で
  散々苦しんだ話しを思い出した。
  まさか…自分が…
  
  私は言葉に困っていると、
  「唯一ある、インターフェロン治療は、あなたにはちょっと無理です
    治療できる人は65才まです」
  
  それ以上のひとは、副作用に耐えられなくて成功率も少なく
  「おすすめできません」と。
  それにあなたの型(カタ)はインターフェロンが
  効きにくい型ですから。
  
  (ここがスゴイ!)
  医師は、ペンで白い紙に横に長い線を引き
  一番右側に「肝炎」その中心に「肝硬変」一番左に「ガン」と
  書いて私に見せた。

  右端の肝炎から、線の中心の肝硬変までを「5年」そこからガンまでを「5年」と
  記されていた。
  10年でガンか!!ガーン!





どんな顔して話そうか
 
   告知された後も意外と心は落ち着いていた。
  だってまだ「ヤバ」くなるまでに10年はあると言うんだもの!

  しかし家に帰っても夫には言わなかった。
  自分の心の整理が出来てないのに言う気にはなれない。
  どんな顔で話せばいいのか。

  子どものころから、「肝臓病は、近いうちに死ぬ病気」と
  「治らない病気」と、知らされていたから!
  
  夫に話すときは自分がどんな顔になるのか、
  夫がどんな顔するのかが怖かった。
 

病院通いが始まる 

  
  この日から3ヶ月に1回、
  血液検査とエコー検査に通うこととなる。

  そして嫁いでいる娘にも黙ってはいられないが
  娘家族はあと3ヶ月すれば、アメリカ・ニュージャージー州に
  仕事で3年間滞在する予定だ。
  
  今は準備でいそがしく、夢いっぱいのこの時期に
  自分の病気の話はしたくなかった。

  夫にも言わなければならないし、娘にも。
  
  でもこの病気、10年間も余裕があるのだもの、
  こんな時期に言いたくない
  それで娘に今は言わないと決めた。


様子をみる 

   特に痛いところもなく
  つらいところもなく
  やっぱり「無言の臓器」なのだ。

  心配なのは肝機能の数値であった。高い!

  つらいのは心!

  それと血小板がとてつもなく低い!
  医師は「血小板が気になるな~」といつも口にした、


                   
 
 医師の惨い言葉
   

  病院に行くたびに言われる言葉!

  「肝臓の線維化が始まってる」
  「固くなってデコボコしてる」
  「細胞が崩れ始めて血液と一緒に流れ出ている」
  「血小板が異常に低い」

  ああ〜私にどうしろと言うの?

  医師は「治す薬はありません」鬼の言葉!

  あるのは、残ってる肝臓の働きを良くし
  肝硬変やガンの進行を遅らせる「肝庇護療法」の
  薬しかないと言う。

  「遅らせる」なんて…空しい言葉!

  何年先ぐらいには〇〇新薬が出ますがね〜何時かはわかりません。
  
  進行を「遅らせる!」何度聞いても嫌!な言葉。

                            【20年に続く】